しまうまのオタク帳

アニメとかゲームとかなんかとか

アニメと泣き

前書き

皆さまはアニメで泣いたことはあるだろうか。感動で泣く、展開がアツくて泣く、感情移入で泣くなど様々な種類の泣きが存在するだろう。私ははっきり言ってアニメや映画などの作品で泣くことはかなり少ない。アニメだけに絞って言えばすべてリストアップしても10個も存在しない。それがなぜなのかというのとアニメと感情の繋がりを少し文章にしてみる。

本題

はじめに断っておくが、アニメの感想なのでかなり個人的意見が多く人によっては全く共感できないというのはここ数年のアニメサークルでの日々で十分にわかっているつもりである。それを踏まえた上で読み進めてほしい。

さて、本題に入るとしよう。アニメで泣く条件を個人的に考えてみたのだが、感情が演出についてきたとき人は涙を流すのではないかと感じる。先ほどアニメで泣いたことは10回もないと記述したが、とはいえ私には好きなアニメが数多くある。それなのにも関わらずアニメで泣くことが少ないのは、後々考えてこの作品良かったなと感じることのほうが圧倒的に多いからである。これは私の理解力が低いのかアニメに対するハードルが少し高いのかは知らないし他の人でも共通していえることなのかは全くわからない。しかし、アニメを見ている中で伏線を全て追ったうえで登場人物たちの感情のことも考えながら演出すらも楽しむという高度のことを私以外の全人類が成しえているとは考えられない(もしかしたら圧倒的大多数なのかもしれないが)。最近だとゾンビランドサガ2期の8,9話の佐賀事変の回が挙げられる。この回は過去の佐賀で仲の良かった3人の登場人物が自分の信念のために仲違いし争ってしまうというのが大筋で、私自身かなり好きな話なのだが、泣くには至らなかった。その理由こそ考えすぎてしまい感情が追い付いてこなかったためなのである。3人それぞれの信念や考えを整理したのちに過去の発言などとリンクさせながら演出も見るのはあまりにも時間が短すぎる。それゆえに見終わった後に考える時間を設け結果的にこの話良かったな...と思い返すことになってしまう。もちろんそれが悪いわけではないし泣いていなくても好きなのは変わりないのだが、どうせだったら目頭を熱くしたい。

一方で泣いたアニメについても考えてみる。私の泣いたアニメは以下の通りである。 f:id:smumch:20210814073451p:plain

これらを考えたとき、2つ重要な要素があると感じた。それは、『わかりやすさ』と『演出』である。私はなんか知らないけど泣くということはアニメに限るとなく、ある程度を納得できるまで理解していないと泣けない。この部分は理解力を向上させればいいと感じるだろうし私が馬鹿なだけで大多数は理解出来ているだろと思う読者もいるだろうが、考察が楽しいアニメというジャンルがある以上それはないのではないかと思ってしまう。アニメを初見で見るときは(どうでもいいアニメを除いて)伏線になりそうなセリフや演出を覚えながら見てしまうし、クールアニメだったら次の話までの1週間で様々な考えをまとめてから見ている。それ故に『わかりやすさ』というのが大事な鍵のひとつだと感じた。

そしてもう1つの要素は『演出』である。演出はアニメが持っている最大の武器だと考えている。たとえば、さよならの朝に約束の花をかざろうという作品について考えるとこの作品最大の見せ場は親子別れのシーンでのいままでを振り返る演出である。これは先ほどの理解を深めることにも助力しながら、演出を見せることが出来る最高のシーンなのではないかと考えている。他にも空の青さを知る人よなどでは見せ場にメインテーマを持ってきて演出をしていたりと目や耳から直接訴えかけることができるのがアニメーションである。これは小説にも、ゲームにもない。バトルシーンだったら激しく、感動シーンだったらセンシティブに描き激しく心を揺さぶることが出来るのである。

これら2つが組み合わさって初めて泣けるのではないかと感じた。もちろん泣けるアニメこそが1番いいわけではなく前述したように考察をして後々「よかったな...」となるアニメも好きなのだが最高に感情が揺さぶられるという結果が泣くことだと感じる。他にも要素は必要だろうし本当に泣くアニメを作るというのは難しく、泣けるアニメを作れる制作人は素晴らしいと思う。これからも泣けるベストマッチのアニメに出会えることを期待する。

もう少し拡張

かなり蛇足気味ではあるが、この記事を思いついたとき現実世界でも当てはまるのではないかと感じた。

昔は楽しかったとか振り返るといい思い出だったなどというのは人生1度どころか何度も感じたことがあるのではないだろうか。もちろん現在が一番楽しく今が最高!みたいな人もいるだろうが世の中はそううまくできていないよう感じる。

かくゆう私も大学院生なのだが、今よりも大学の学部時代、もしくは中高時代、もしくはもっと昔のほうが自由ですべてが楽しく感じていたなと思うときがある。しかし、よく考えてみるとその当時は本当にその当時を満喫していたのだろうかと疑問を抱くことがある。思い出補正もあるだろうが、多くはよく考えたらあの頃のほうが楽しかったということがほとんどではないだろうか。人は今もっていないものを望む生き物である。たとえば今時間がないと感じているなら時間を持て余していた時期を想起してあの頃はよかったと悲観的になってしまう。しかし、その時間を持て余していた当時はなにかに向かって努力していた日々を想起して憂いていたのではなかろうか。私はただのオタクでたいした人物でもないので人生観について語るなど少しおこがましいがこれまで記してきたことを考慮するとなにか物事に取り組んでいるとき、その時に『今楽しい』と感じることが出来るのはとても素晴らしいことで環境や仲間に恵まれていると思う。これらを踏まえて、今楽しいかというのが大切なキーワードなのではないかと感じた。